2011/02/23

既存メディアとインターネットによる情報発信への若干の考察

 インターネットの普及によって、情報発信の「カラオケ化」が進んだ、そしてこれからもそれは進行するだろう、と論じたのは黒崎政男であったろうか。
 曰く、カラオケは「歌う」という行為を広く一般に開放し、結果としてプロとアマチュアの境界線をあやふやにしてしまった、情報発信という分野においても、それがインターネットの普及によって同様の現象が起こる、と。
 私は、ここで論じられていることはもっとも真実であると思っているし、また情報の双方向性という観点から見れば、それは歓迎すべきことだと考えている。
 そのような現象に対して、真っ向から敵対する姿勢を見せているのが既存のマスメディア、特にテレビ局である。インターネットの情報は信用できない、インターネットは危険だ、そんなイメージを視聴者に植え付け、結果的に今、インターネットメディアに対する世間の評判は「胡散臭い」というほぼ一色で塗りつぶされているよ
うに感じる。2chに対する姿勢にしても、Twitterに対するそれにしても、「一般人が情報を発信すること」そのものを否定しているかのような、そんな論調だ。
 何もこのような動きはマスコミだけにとどまらない。なんだったかは忘れたが、ある思想誌がこの間、Googleについて特集していた。果たしてその中身は、要約すると「インターネット上の情報は全て『機械情報』である。ゆえにインターネットの情報は真実味を帯びない」だの、「そのような『機械情報』を広く大衆にばらまいて
いるGoogleのようなメディアは、新たな独裁的専制政治を生む」だの云々、この人たちはもうネットを批判することしか考えてないんじゃないか、なんて感じるような内容ばかりだった。
 もちろん私はインターネットの発達によって情報発信の手段を得た、情報発信の「アマチュア」である。しかしインターネットの世界では、「アマチュア」であろうと「プロ」であろうと、情報発信に使うツールに、実際の社会ほど大きな差はない。メディアの公式サイトで報じるのも、どこかのブログで論ずるのも、全く「アマチ
ュア」が情報発信できない現実社会よりは、はるかにマシだろう。むしろその点は、「民衆の生の声がそのまま反映される」という点で評価されるべきだと思っている。
 そこで振り返ってマスコミはどうか。報道番組における「やらせ」だの、撮影スタッフによる落書きだの、もうなんだか日本におけるジャーナリズムそのものを疑問視したくなってしまうような出来事が相次いでいる。視聴率重視のバラエティ番組に走り、満足な報道が出来ていないのではないかとさえ思う。よく報道のネタにされ
る「最近の子ども」なるものの育成の一翼を自分たちが担っていることを省みるような報道は、ほとんど見られない。結局は、自己保身に走っているようにしか見受けられない。
 また最近は、インターネット上の動画をテレビで放映するだけのような番組も出てきている。なぜこのような番組にニーズがあるのか、テレビがそれに勝る良質なコンテンツを提供できていないからだ、という議論も、もっとあっていいと思うのだが。

 現在のインターネット論、それはメディアの自己保身と偏見によって形成されているのはその通りなのだが、そのようにメディアが「付け入る隙」をインターネットが与えていることも、大きな事実である。
 日本におけるインターネット文化は、あくまで「匿名性」を前提に成り立っている。ゆえに無責任な言動や、嘘の情報の発信、加えていわゆる「祭り」状態が起こり、それが世間のネット不信に繋がっていることは否めないだろう。その点について、インターネット利用者はもっと良識を持って臨むべきである。

 既存メディアとインターネットとの溝は、まだまだ深い。