2011/07/03

あえてこれを、小さな決意と名付けたい。~福島原発事故に関する走り書き~

 福島が、前に進まない。

 未曾有の大震災、そして未曾有の原子力災害。この2つが、福島を止めた。
 海岸線に残る津波の爪痕、積み上がった瓦礫。そして、放射線。

 福島は今、窮地にいる。
 福島第一原子力発電所の事故は、多くの福島県民を苦しめている。自ら死を選ばざるを得なくなった人もいる。ある人は自ら首を吊り、ある人は自らに火を放ち。

 「補償せよ」と、県民、いや、日本国民全員が叫んでいる。
 「東京電力が引き起こしたこの前代未聞の原子力災害を、いち早く終息させ、補償せよ」と、声高に。
 「何が想定外だ、予測が甘かっただけのことだろうが」
 「原子力の安全神話に、国民は踊らされていたんだ」
 そう叫ぶ国民は、怒っている。

 その意見の根底にあるものは、共通している。
 「東京電力が悪いのだ」という、共通認識だ。

 私はそれに、あえて異を唱えたい。

 その杜撰な想定と安全神話によって生み出された電気を使っていたのは、他ならぬ我々、日本国民ではないか。
 であれば、あの事故の責任は、まわりまわって我々国民のところにあるのではないか。

 「東電が、」「東電が、」と、メディアも国民も口をそろえる。
 東電が原発なんて作りさえしなければ、そもそも事故なんて起こりはしなかった。
 原発が憎い。東電が憎い。福島県民は、そう叫ぶ。

 しかし、本当に憎まれなくてはならないのは、福島原発で発電された電気を貪るように使っていた、東京電力管内の人間である。
 東京の電力需要が増えてきたという『東京本位』な考え方で、東北の福島に原発を造り、そこで発電された電気を使っていたのが自分たちだということを棚に上げて、いざ災害が起きれば「そもそも原発をつくった東電が悪い」という議論を始めた首都圏民の姿に、私はある種の戦慄を覚える。原発が出来た頃に、電力需要を大幅に増大させた張本人たちであるはずの、いわゆる団塊の世代が特に「原発は悪だ」という論調が強いようだが、私に言わせれば「お門違い」である。
 「私たちは、電力を必要とする生活を必要としているわけではない」という意見も一部であるようだが、ならばそういう方々は今すぐご家庭のブレーカーを落とすことから始めていただきたい。現代社会において、電気なしの生活など不可能なのだ。戦後の復興期から今にかけて、電力需要が増えるような経済成長をしたのが間違いというなら、どのような経済成長が正解だったのか、ぜひ教えていただきたい。
 要は、原発事故に関連して東電にとやかく言う首都圏民に「お前が言うな」と言いたいのだ。全ての責任を東電になすりつけて、自分たちも被害者面をしたいだけではないのかと、私は思うのである。

 かくいう私も首都圏民である。福島の惨状を目にして、思わないことが無いわけではない。しかし、それを「東電が引き起こした災害」とは、私はどうにも認識できない。どうしても「私たち首都圏民の身勝手が起こした犯罪」という認識を外れることができないのだ。
 だったらどうしろというのか、という問いに、私は答えられない。ただ、一人一人が「あの事故は、自分たちの身勝手が引き起こしたものだ」ということを、常に心に留め置いて行動すべきだと思う。その意識から、何かが変わってくるはずだ。

 今は東電叩きをしている場合ではない。他者へのバッシングという、人間の行う最も不毛な行為をするくらいなら、もっと自分たちに出来ることを始めるべきだ。節電でもいい、食料支援でも技術支援でもいい。何も出来なければ祈ればいい。日本が世界に誇る「他人のために祈る」という文化を、余すところ無く発揮すればいい。

 「福島の事故は、我々の身勝手が起こした事故だ」という罪悪感情を、私は一生背負って生きていこうと思っている。
 ちっぽけな、とてもとてもちっぽけな、私たった一人の決意だが、これはきっと、私のチカラになると信じている。

2011/05/09

もう、日本は全ての原発を停止すべきである

 政府は先日、静岡県御前崎市にある浜岡原子力発電所の運転を停止するよう、中部電力に要請した。
 理由としては、先頃の地震の影響で東南海地震が誘発される可能性が高まっており、万が一地震が発生し、原発が津波などの被害を受けた場合、首都圏への影響が大きすぎることを挙げていた。中部電力は、この要請を受け入れるという。

 この件に関しては、なぜ浜岡だけなのか、という疑問が拭えない。
 政府は地震を引き合いにしてこれを説明しようとしているが、ならば数年前に激しい活動をした断層のすぐ脇にある柏崎刈羽原発はその数倍危険だし、川内原発に至っては三方を断層に囲まれてさえいるのだ。しかしなぜ、浜岡だけなのか。首都圏に近いから、自分たちの身を守るため、というのが本音だろう。
 菅首相はこれを「原発の危険に対する十分な対策を講じた」という前例にして、菅下ろしの動きに対する盾にする気かも知れないが、あまりにもお粗末である。
 要するに、なにも浜岡原発『だけ』を停止する意味はないのだ。ならばいっそ、日本の原発を全て止めてしまえばいいではないか。
 先日、東京で「原発反対」を謡うデモが行われたという。原発で作られた電気の恩恵を日本一受けている都市、東京でだ。不思議な話である。ならばデモ参加者は、全員が自宅で約30%の節電をしているのだろうか。原子力の恩恵を授かっていながら、そのエネルギー源を否定するなど、全く以ておかしな話だ。

 代替エネルギーの議論もままならない中で、原発は全て停止しろ、という。反原発を唱える人は、まず自ら率先して30%節電し、自分の暮らしがどれだけ原子力に依存してきたかを実感すべきである。

2011/04/21

母乳から放射性物質? へぇほぉふぅん。

茨城などの女性の母乳から微量の放射性物質


先月、茨城県と千葉県の女性の母乳から微量の放射性物質が検出されたと、市民団体が21日、記者会見で発表した。一方、厚労省は、母乳の安全性に問題はないとして、冷静な対応を呼びかけている。


と、学校から帰って一発目、気になるニュースを見つけて読み進めてみた。


これは、市民団体「母乳調査・母子支援ネットワーク」が、福島県や茨城県などの9人の母乳を独自に調査したもの。このうち、千葉・柏市の女性が先月29日と30日に採取した母乳からは、一キログラム当たり36.3ベクレルの放射性ヨウ素が検出され、その後、今月4日には14.8ベクレルに低下したという。

 茨城・守谷市の女性の母乳では、先月23日と24日の時点で、放射性ヨウ素が一キログラム当たり31.8ベクレル検出され、先月30日には8.5ベクレルに下がった。

 茨城・つくば市の女性2人の母乳では、先月、それぞれ一キログラム当たり8.7ベクレルと6.4ベクレルの放射性ヨウ素が検出されたが、宮城県、福島県、茨城県の女性計4人では検出されていない。

 この市民団体は「政府は、水道水や野菜から規制値を超える放射性物質が検出された時点で、すぐに母乳の調査をすべきだった」と指摘した。


※以上の記事は日テレニュース24より引用

 …聞きなれない団体である。ちょっと調べてみたが、公式サイトらしきものはこれしか見当たらない。

母乳調査・母子支援ネットワーク

 記事が二つしかない。どうなってんのこれは。
 さらに調べてみると。

ぴかりこの日記/2011-04-21:母乳調査・母子ネットワークの呼びかけ


今日友人からメールが届いたので、ご紹介します。

ぴかりこの日記/2011-04-21:母乳調査・母子ネットワークの呼びかけより引用

 …これ、明らかにスパムメールでしょう。
 しかもメール本文上で高らかに「報道関係のみな様」と歌い上げてるあたり、どうにも無差別に送りつけた感が否めない。

 私が確認した限り、この「母乳調査・母子支援ネットワーク」なる団体は、前々から活動している団体ではなく、この原発の件を受けて設立された団体のようだ。
 そして、この団体の発表によれば、放射性ヨウ素が検出されたのは千葉県と茨城県に住む協力者から提供されたサンプルからであり、なぜか原発により近いはずの福島県や宮城県在住の協力者から提供を受けた母乳からは検出されていない。これは、おかしい。
 そしてデータが古い。この団体がサンプルの提供を受けたのは先月末、もう半月以上前の話である。ちょうど茨城県・千葉県・東京都の水道水から放射性物質が検出された頃だ。今はもう水道水から放射性物質は出ていないため、この検査結果は今現在においては有用ではないものと考える。まぁ参考程度にとどめるべき。

 いろいろ思うところはあるけれど、今のところはこのくらいにして、あとでもうちょっと書きますー。

2011/04/14

と、まぁ。

 重っ苦しい話ばかりしてもしょうがない、ここはパーッとやろうパーッっと!(どこの給料日のサラリーマンだよ)

 と、いうわけで。いちいちTwitterには投稿してる(一部してない)けど、私の近況を書き連ねておきます。

2011/01
・謹賀新年!と言いたいところだけど、発送した後の年賀状に誤植が見つかって、どうやら私は1911年の年明けを迎えたようでした……
・正月太りで体重が残念なことに。
・冬休み明けの学校に、私の居場所なんて無かった。

2011/02
・受験終了のお知らせ。こんなはずじゃなかったー。
・節分の日、妹に全力で豆を投げつけられて腕が真っ赤に。
・天から「メリーさん」のプロットが降ってくる。
・衣川狼(狼少女21号)さんの叫びに私が反応、はじめて真面目な作詞をする。
・リア友のTwitterアカウント捕捉、フォローをぶちかます。
・文筆を真面目に再開(いやちょくちょくやってたんだけどね)。

2011/03
・晴れて(?)ニートに。
・祖父の家でPCの高負荷試験をしていたところ突如停電、「何やらかした!」という祖父の怒気を含んだ声に竦み上がっていると、地面がゆらゆら。そう、東日本大震災です。
・そして停電。復旧したのは翌日0:55頃。真っ先にWX320Kを充電して現状把握に走り、結局寝たのは4時過ぎ。
・安否確認のメールなんて無かった。
・そんなわけで、19日の仙台オフ会がお流れに。
・しかしたくましくも、秋葉原でのオフ会は敢行。
・計画停電なんて無かった。
・唐突にベンチャーに誘われてあばばばばb(ry

2011/04
・悲しいかな、ニート卒業←イマココ!

 ……いやはや、振り返ってみると私、この3ヶ月って何もしてない気がしてきた……

 そしてこれからのビジョン。鳩じゃないぞー。
 とりあえず、文筆のペースをあげていく。ゆくゆくは同人作家デビューしたい。本出したい。同人で。一次創作で。
 そしてベンチャーの仕事やりたい。早く裁決しろ親ー。
 そして20kgぐらい(!)痩せたい。無理か。

 ……と、まぁ。今の私はこんな感じ。
 今日もお粗末に生きてます。

地震考。

 東日本大震災からほぼ一月が経った。被災地の惨状は相変わらずだし、原発に至っては悪化している感も否めない。
 地震はさまざまな論議を呼び起こした。防災対策の不備、津波に対する想定の甘さ、そして原子炉安全性の保持についての不備などなど。政治の負う責任は大きいところだろう。

 しかし――地震2日後の3月13日、NHKの日曜討論で、既に震災に対する政治責任を問う内容の論議がなされていたのは、一体どうなのだろうか。

 出演者の詳しい名前まで覚えてはいないが、各与野党の議員が数人ずつ出演していたと記憶している。果たしてその番組の内容は予想通り、野党は政府の防災対策を批判し、与党は「今後検討します」の一点張りの、中身のないものだった。
 しかし、私が問いたいのはそこではない。

 震災からたった2日後の時点で、震災に対する政治論議をするべきだったのだろうか。

 被災状況がまだ完全に把握できていない状況の中で、それらに対する政治責任を論じるのはおかしいのでは無かったろうか。もしくはそれは「自然災害」に対する政治責任を問いたかったのだろうか。
 また政治家は、国民のために働くのが職務であろう。ならば、何の足しにもならない責任論の押しつけ合いをしている暇があったら、被災者のために何かしらの活動をするべきではないのか。党の災害対策会議に出るでもいいし、被災地に出向くでもいい。椅子に腰掛けて結果論や理想論を振り回すだけより、よほど被災者のためになる。
 今回の震災で物資の供給が止まった福島県いわき市に、お笑い芸人の江頭2:50が自身でトラックを運転し、支援物資を届けたという話を聞いた。このくらいの献身的な活動を、「たかがお笑い芸人」と言わず、永田町でぼーっとしている政治家達は見習うべきだ。

 私の父方の祖父母はいわき市の在住で、震災翌日に父がこっちへ連れてきた。幸い二人に大事はなかったが、祖母の実家は海に流され、彼女の従兄弟が未だ行方不明だという。

2011/02/23

既存メディアとインターネットによる情報発信への若干の考察

 インターネットの普及によって、情報発信の「カラオケ化」が進んだ、そしてこれからもそれは進行するだろう、と論じたのは黒崎政男であったろうか。
 曰く、カラオケは「歌う」という行為を広く一般に開放し、結果としてプロとアマチュアの境界線をあやふやにしてしまった、情報発信という分野においても、それがインターネットの普及によって同様の現象が起こる、と。
 私は、ここで論じられていることはもっとも真実であると思っているし、また情報の双方向性という観点から見れば、それは歓迎すべきことだと考えている。
 そのような現象に対して、真っ向から敵対する姿勢を見せているのが既存のマスメディア、特にテレビ局である。インターネットの情報は信用できない、インターネットは危険だ、そんなイメージを視聴者に植え付け、結果的に今、インターネットメディアに対する世間の評判は「胡散臭い」というほぼ一色で塗りつぶされているよ
うに感じる。2chに対する姿勢にしても、Twitterに対するそれにしても、「一般人が情報を発信すること」そのものを否定しているかのような、そんな論調だ。
 何もこのような動きはマスコミだけにとどまらない。なんだったかは忘れたが、ある思想誌がこの間、Googleについて特集していた。果たしてその中身は、要約すると「インターネット上の情報は全て『機械情報』である。ゆえにインターネットの情報は真実味を帯びない」だの、「そのような『機械情報』を広く大衆にばらまいて
いるGoogleのようなメディアは、新たな独裁的専制政治を生む」だの云々、この人たちはもうネットを批判することしか考えてないんじゃないか、なんて感じるような内容ばかりだった。
 もちろん私はインターネットの発達によって情報発信の手段を得た、情報発信の「アマチュア」である。しかしインターネットの世界では、「アマチュア」であろうと「プロ」であろうと、情報発信に使うツールに、実際の社会ほど大きな差はない。メディアの公式サイトで報じるのも、どこかのブログで論ずるのも、全く「アマチ
ュア」が情報発信できない現実社会よりは、はるかにマシだろう。むしろその点は、「民衆の生の声がそのまま反映される」という点で評価されるべきだと思っている。
 そこで振り返ってマスコミはどうか。報道番組における「やらせ」だの、撮影スタッフによる落書きだの、もうなんだか日本におけるジャーナリズムそのものを疑問視したくなってしまうような出来事が相次いでいる。視聴率重視のバラエティ番組に走り、満足な報道が出来ていないのではないかとさえ思う。よく報道のネタにされ
る「最近の子ども」なるものの育成の一翼を自分たちが担っていることを省みるような報道は、ほとんど見られない。結局は、自己保身に走っているようにしか見受けられない。
 また最近は、インターネット上の動画をテレビで放映するだけのような番組も出てきている。なぜこのような番組にニーズがあるのか、テレビがそれに勝る良質なコンテンツを提供できていないからだ、という議論も、もっとあっていいと思うのだが。

 現在のインターネット論、それはメディアの自己保身と偏見によって形成されているのはその通りなのだが、そのようにメディアが「付け入る隙」をインターネットが与えていることも、大きな事実である。
 日本におけるインターネット文化は、あくまで「匿名性」を前提に成り立っている。ゆえに無責任な言動や、嘘の情報の発信、加えていわゆる「祭り」状態が起こり、それが世間のネット不信に繋がっていることは否めないだろう。その点について、インターネット利用者はもっと良識を持って臨むべきである。

 既存メディアとインターネットとの溝は、まだまだ深い。

2011/01/10

東京都青少年健全育成条例改悪案についての個人的所見および主張

 去る2010年12月、東京都議会で青少年健全育成条例改正案(改正というより私は改悪といいたい)が可決、成立した。出版界やネット世論を完全に無視した上、都知事に至っては漫画家を卑しい職業だと言ったり、まるでアニメやマンガを社会のゴミとして扱っているかのような素振りさえ見せた。今回はこの都条例「改悪」について、長くなりそうだし今更感甚だしいが、ここに書いてみたいと思う。

 まずこの条例への個人的な所見。
 この条例からは、現代社会の問題点を全てアニメやマンガ等に押しつけ、それらを害悪視し、世間から排除しようという意図がありありと見て取れる。モラル教育は本来、家庭や学校などの教育の場で行われるのが筋だが、この条例はそれらをきっぱりと無視し、その本来家庭や教育の場が負うべき「モラルの育成」という責任を放棄し、出版物の規制という形でそれを出版界に押しつけただけのものだ。

 更に言わせてもらえれば、アニメやマンガの表現を規制するよりも、コンビニの棚に堂々と成年向けのアダルト雑誌が陳列され、それらが、読もうとすれば誰でも読める状態にあることを規制した方がはるかに有効だと私は考えている。そのような類の雑誌には、表紙には卑猥な単語に加え、見ただけで人によっては(私もそうなのだが)吐き気のするような写真が印刷され、それがあまつさえコンビニの棚の一部を、堂々と完全に占拠しているのだ。確かに一部のアニメやマンガには、過激とも思える表現があるのは事実だが、それらもアダルトビデオや成年雑誌、過激な官能小説に躍っている情報に比べれば何のことはない。この条例は、「青少年の健全な育成」という視点からではなく、「いかにしてアニメやマンガを規制するか」という視点からしか議論されていないのではないか、とさえ思ってしまうほどにお粗末である。

 また、この条例を定めるにあたって、都は出版業界団体との協議を十分に持っていない。むしろ業界団体が協議を申し入れたのに対し、都側はそれを拒否したという。これは条例を決める上ではあってはならない暴挙だと思うし、加えて出版業界には何も言わせないくせに、都知事は堂々と「漫画家は卑しい職業」だの、「アキバに集うようなオタクは頭がおかしい」だの「アニメやマンガが日本人の良識を壊している」だの、ずいぶんと言ってくれている。名誉毀損で訴訟を起こしてもいいくらいだし、どちらかといえば私は都知事の良識の方を疑いたい。

私はまだ未成年で参政権は無いが、未成年とはいえ、この行政の横暴ともいえる条例を、断じて許すことはできない。

現在、「署名.tv」において、この条例を廃案にするよう求める署名活動が行われています。
私はこの趣旨に賛同し、これに署名すると同時に、またご賛同くださるみなさまにも、署名をお願いしたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。署名ページへはこちらからどうぞ。